■板碑(4)
この板碑は、小形ながら完全な形を保っている。上部の山形は、少しも欠け損じがない。横の二条線も太めで、あざやかである。薬研彫りの弥陀種子も、力強く感じられて美しい。蓮台の彫りもよく、かすかながら中房も認められる。紀年銘は、右に「康安二年」左に「十月日」と、彫ってある。珍しく、その下に、花瓶がある。花瓶は、高さ4p程であり、胴には、二条の帯線が刻まれていて、頚部は太めで1p程である。中の蓮華は、3.5p、左の荷葉は、2.5p、右の荷葉は、2p程である。当区にある板碑の中で、花瓶のあるのは数少なく、まことに貴重な板碑である。
康安2年10月日(1362)である。康安2年9月23日は、改元されて貞治元年である。また、南朝年号では、正平17年である。南朝の後村上天皇、北朝の後光厳天皇の対立時代である。時の将軍、足利義詮は、反軍を追って東奔西走の時である。混乱の時代である。現代と異なって、情報機構の不備な当時では、改元の事実を知るよしもなく依然として、旧年号を用いている。世相の一端を如実にわかるような板碑である。
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