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仏教小史 Vo.2


日本へ仏教が正式に伝えられたのは欽明天皇13年(552年)とされるが、『元興寺縁起』などでは538年になっている。いずれにせよ、それ以前から民間に仏教信仰が伝えられていたことは間違いない。仏教を受け入れるかどうかをめぐって蘇我氏(崇仏派)と物部氏(排仏派)が争ったが、結局、物部氏が滅びて、崇仏派が勢力を伸ばした。その後、用明天皇の皇子だった聖徳太子は仏教興隆に力を入れ、「法華経」など三経を講義し、法隆寺、四天王寺などたくさんの寺院を建立した。

奈良時代には東大寺をはじめとして、各国に国分寺が建立され、南都六宗として知られる諸宗が勢力を誇った。南都六宗とは三論宗、法相宗、成実宗、倶舎宗、華厳宗、律宗である。

飛鳥時代から奈良時代までは「鎮護国家」を目的とした学問仏教の色が濃かったが、平安時代になると、最澄(さいちょう)や空海(くうかい)によって、唐から天台宗、真言宗が伝えられ、比叡山、高野山などが開かれた。

鎌倉時代になって仏教は一般民衆の信仰を集めるようになった。平安末期からの末法思想の流行は浄土思想を急速に普及させ、源信(げんしん)や法然(ほうねん)による「念仏」が武士、庶民に広く浸透した。鎌倉時代には親鸞(しんらん)、道元(どうげん)、栄西(えいさい・ようさい)、日蓮(にちれん)、一遍(いっぺん)など各宗の開祖が続々と登場し、新しい仏教が興起した。

室町時代になると仏教は確実に勢力を伸ばしたものの、鎌倉時代のような革新的な仏教は誕生しなかった。五山を中心とする禅僧独特の美術や文学が生まれた。戦国時代には比叡山、高野山、本願寺など大寺院で織田信長の徹底した迫害を受けたものも多かったが、江戸時代初期には各寺院とも復興した。

明治維新直後には復古思想による「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」などの危機を経て、仏教の革新も進み、戦後は多くの仏教系新興宗教を生んだ。