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続・質問帳

若林隆壽

質問

最近「終活(しゅうかつ)」という言葉を耳にしますが、仏教的にはどうとらえたらよいのでしょうか。

回答

若林隆壽

 一口に「終活」といっても、最期(さいご)を迎える際の終末期(しゅうまつき)の医療や葬儀、財産分与など「こうして欲しい」という事柄について、「エンディングノート」や「遺言書」を遺(のこ)すこと、自分の所有物を減らしておくこと、パソコンのデータなども含め、社会的な関係を整理しておくことなど、いくつかの側面があります。
 中でも、残していく家族に迷惑を掛けたくないと、身体も元気で、認知症などになる前に、愛着や思い出の詰まった品々を自らの手で捨てること、いわゆる「断舎離(だんしゃり)」を断行(だんこう)することは至難(しなん)の業(わざ)です。
 先年、私は亡父の遺品の中から祖母のアルバムを見つけました。そこには何と六歳の父と四歳の母が仲良く写っており、「お父さんと私は小さい頃に許嫁(いいなづけ)になったの」という母の言葉が証明されることとなりました。
 最近は親の遺品を片付けることを「親片(おやがた)」といって、専門の業者もありますが、自分の生きた証(あか)しや、家族の歴史を葬(ほうむ)り去ることが「終活」ではありません。
 あえて「仏教的なとらえ方」というならば、「物に執着(しゅうじゃく)しない生活をする」こととなり、それなりに必要ですが、「よい最期を迎える」ためでなく、「よりよく生きるため」の「終活」であってほしいものです。 

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