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続・質問帳バックナンバー



 
●質問
修学旅行でお参りしたお寺に「足跡(あしあと)」の形が彫(ほ)られた石がありました。
あれは何ですか。

●答え

  それは、「仏足石(ぶっそくせき)(仏足跡)」と呼ばれるもので、お釈迦さまを「象徴的(しょうちょうてき)に表(あらわ)したもの」です。
  現代のわれわれは、礼拝の対象として、まず「仏像」を思い浮かべますが、実はお釈迦さまが亡くなられてから五百年ほどの間、「仏像」が作られることはありませんでした。その間お釈迦さまを慕(した)う人々は「菩提樹(ぼだいじゅ)」「宝輪(ほうりん)」「宝座(ほうざ)」「傘蓋(さんがい)」そして「仏足石」など、「象徴的に表したもの」を拝んでいたのです。
*
  お釈迦さまには、「三十二相」といって、三十二の優(すぐ)れた身体的特徴があったとされ、そのひとつが、足の裏に回る「車輪(しゃりん)」の相があったという「足下千輻輪相(そくげぜんぷくりんそう)」です。ご覧になられた「仏足石」にも「転法輪(てんぽうりん)」という「車輪」が描かれていたと思いますが、これはお釈迦さまが諸国を巡られ、人々を苦の世界から救うための法を説かれる様子を、滑(なめ)らかに回る「車輪」に喩(たと)えたものです。
  いまでも、その人の遺(のこ)した業績について、「足跡(そくせき)をたどる」という言い方をしますが、数千年以前から、そのような考え方があったかと思うと、何とも不思議ですね。
 
●質問
「悪(わる)ガキ」などという言い方がありますが、「ガキ」は仏教の言葉ですか。

●答え

  決して良い言い方ではありませんが、子供のことを「ガキ」というのは、お腹を空(す)かせた小さい子供が貪(むさぼ)るように食べることがあるのを「餓鬼(がき)」になぞらえたものです。
 仏教では、生前に、欲ばりだったり、嫉妬(しっと)深かったり、貪りの心で行動したりした者が「餓鬼道(がきどう)」に堕(お)ちるといいます。そこでは、常に飢(う)えや渇(かわ)きの苦しみにさいなまれ、食べ物も飲み物も、口に入れようとした途端(とたん)、火に変わってしまうと説かれています。
 『正法念処経(しょうぼうねんしょぎょう)』というお経には、自分だけご馳走(ちそう)を食べた者、酒に水を混(ま)ぜて売った者、悪事で他人の財産を手に入れた者など、何と三十六種類もの「餓鬼」について、その受けなければならない罰(ばつ)が、それぞれに規定されています。
 世界には今日食べる物にも事欠く人々がまだまだ沢山います。しかしその原因は、干(かん)ばつ、洪水、地震などの自然災害、あるいは政情不安等に伴(ともな)う貧困であって、欲ばりや貪りの報(むく)いではありません。
  では、まがりなりにも先進国といわれるわが国ではどうでしょう
*

「清貧(せいひん)」が美徳(びとく)と讃(たた)えられた時代は遠く過ぎ去り、「欲しいときに欲しい物が何でも手に入る」、国民全体に、そんな「コンビニ感覚」が蔓延(まんえん)しています。物質的には恵まれているといえる時代、誰もが生きたままの「餓鬼」となりうる危機(きき)的状況にあるように思えてなりません。

 
●質問
仏教では「欲(よく)」をもってはいけないのですか。

●答え

  人生楽(らく)して生きたい、病気になりたくない、いつまでも若くいたい、死にたくない、愛(いと)しい人と別れたくない、嫌(きら)いな人と会いたくない、欲しいものは手に入れたい、心の痛みは味わいたくない。誰もがごく普通に思い、願うことですね。
  では、この中に実現可能なことが一つでもあるでしょうか。自分の努力によって、ある程度まで先延ばしにできるようにも思われますが、どれをとっても避(さ)けられないことばかりです。  

お釈迦さま

これがいわゆる「四苦八苦(しくはっく)」ですが、仏教を開かれたお釈迦(しゃか)さまは、人生は「苦」であると見きわめ、その「苦」がどこから来るのかを考え続けられました。その答えの一つが、「〜したい」「〜したくない」という「苦」は、実は「自分は」という自己中心の「欲」から出てくるものだということでした。
  仏教で、「欲」を離れるというのは、「何も求めない」ということではありません。決して、前向きに生きる「意欲」や「向上心」を失うことと同義語(どうぎご)ではないのです。
  「欲」や「執着(しゅうじゃく)」を捨てるというのは、世の中は、「自分」一人の力で回っているのでなく、無限の過去から続く「原因」と「結果」との積み重ねであることを知りなさい、何でも自分の価値観で判断したり、自己中心の物の見方をするのではなく、一歩離れたところから、見直してごらんなさいということでしょう。

 
●質問
お仏壇の仏さまをお掃除するときは「魂抜(たまぬ)き」をしなければいけませんか。

●答え

お仏壇  お仏壇の中の仏さまを「お内仏(ないぶつ)」といい、宗派によってはお仏壇そのものをこう呼ぶこともあります。
  これは、僧侶の日常生活の場である「庫裏(くり)」や、「私堂(しどう)」「持仏堂(じぶつどう)」などに安置(あんち)された「念時仏(ねんじぶつ)」を、ご本堂の「ご本尊(ほんぞん)」に対して呼んだもので、「内」というのは「私的な」「うちうちの」という意味です。
  この「お内仏」は、お仏壇にお祀(まつ)りする際に、ご本山(ほんざん)や菩提寺(ぼだいじ)さまで、いわゆる「魂入(たまい)れ」「開眼(かいげん)」の作法(さほう)が行われて初めて、それぞれの家の「ご本尊」として「機能(きのう)」し始めるわけですが、仏さまとして毎日掌(て)を合わせている仏像を手にとって、はたきをかけたり、布で拭(ふ)いたりするのは憚(はばか)られるとお考えになることは至極(しごく)当然のことだと思います。
  たしかに、寺院での年末の「すす払い」や、お盆の前の「お身拭(みぬぐ)い」などでは、作業に入る前に、仏さまを、元のただのお像に戻すために、「発遣(はっけん)」といって、「魂抜き」の作法が行われることが多いようです。
  もちろん、皆さんのご家庭でもそうするのが最善には違いありませんが、実際には難しいでしょう。
  したがって、仏さまとしてお掃除することになるわけですから、金箔(きんぱく)の部分には直接手を触れず、やわらかい布や専用の筆を使い、細工(さいく)の細かい部分を傷つけたりするこのないよう注意を払うことが大切です。
  仏さまとして粗末(そまつ)にせぬよう、きれいにして差し上げましょう。


 
●質問
お寺の掲示板(けいじばん)に「和顔愛語(わげんあいご)」と書いてありました。どういう意味ですか。

●答え

和顔愛語  最近流行(はやり)の「四字熟語」の本などにも登場しますが、これは仏教の経典に出てくる言葉です。人と接するときには「なごやかな笑顔と、愛情のこもった言葉」で、という意味ですが、これは「布施(ふせ)」という考え方を基礎としています。
  通常「布施」というと、お寺さんにお持ちするお金のことだけが思い浮かぶかもしれませんが、実は私たちの社会は、この「布施」の精神抜きには円滑(えんかつ)に動いていきません。
  信者が寺院や僧侶にお金や品物などを施(ほどこ)すことを「財施(ざいせ)」といいますが、これに対し、金品を使わずにできる「布施」を「無財(むざい)の七施(しちせ)」といって、眼施(げんせ)(やさしい眼差(まなざ)し)・和顔悦色(わがんえつしき)施(おだやかでにこやかな顔)・言辞(げんじ)施(励(はげ)ましの言葉)・心(しん)施(慈(いつく)しみの心)・身(しん)施(親身(しんみ)な態度(たいど))・坐床(ざしょう)施(心地よい椅子(いす)とベッド)・房舎(ぼうしゃ)施(快適(かいてき)な部屋)の七つが示されており、「和顔愛語」は、まさに代表選手といえます。
  もし、私たち一人一人が相手の心に寄り添い、与えることの喜びを知ったなら、世の中が明るくなることはもちろん、自分自身も楽しい毎日を送ることができるでしょう。
  自分の価値(かち)にそぐわないことには、なんでもクレームをつけた方が勝ちという「ゴネ得(どく)」社会や、利益を追求する人だけが「勝ち組」を名乗る世の中にしないためにも、「和顔愛語」の心持ちを大切にしていきたいものです。


 
●質問
お盆に帰省(きせい)することができず、お墓参りもできません。どうしたらよいですか。

●答え

  自分を育(はぐく)んでくれた山河、共に同じ時を過ごした懐(なつ)かしい人々。高速道路でどんな渋滞(じゅうたい)に巻き込まれようと、二百パーセントを超える乗車率の列車に押し込められようと、お盆を故郷で過ごすことは何にも代え難い喜びがあります。
  また、遠く故郷を離れ「盆暮れ正月」の年に二度しかお参りできないご先祖さまの墓地の前で手を合わせれば、義務をはたしたという安堵(あんど)感ばかりでなく、何とはなしに心に温かいものが通うのを感ぜずにはおられないことでしょう。
  お盆に帰省できないのは、さぞかし残念なことと拝察(はいさつ)いたします。
  最近は遠隔地(えんかくち)でお参りができない方のために、お花やお線香を手向(たむ)けて墓参を代行する業者などもあるようですが、それなりに費用もかかりますし、いくら証拠の写真が送られてきたところで、あなたご自身の心はどうでしょう。
227  仕事の都合などでお盆にお参りできない場合は、菩提寺(ぼだいじ)のご住職、あるいはご親戚のかたに懇(ねんご)ろに代参(だいさん)をお願いするのが第一ですが、その上で、お盆という期間にとらわれずとも、何かの機会をみつけ、ご自身でお参りになることをお勧めします。
  故郷があなたを待っているのは、お盆に限ったことではないはずです。


 
●質問
なぜ、お彼岸にはお墓参りをしなければいけないのですか。

●答え

  お彼岸のお寺参りやお墓参りを、ご先祖さま、亡き方たちのためという側面から見れば、日頃のご無沙汰(ぷさた)をお詫(わ)びする、懐(なつ)かしい方たちを偲(しの)ぶ、久しぶりにお掃除をするなどの答えが挙(あ)げられるでしょう。
  しかしこれとは別に、お参りには他人(ひと)のためだけではなく、自分のためにするという一面があることを忘れてはなりません。ご本尊(ほんぞん)さまに手を合わせ、お墓参りをすることは、いのちの尊(とうと)さを知り、心の平安を得、あなた自身の信仰心を育(はぐく)むことにつながっていくのです。
  お彼岸は、迷(まよ)いの世界であるこちらの岸(此岸(しがん))に対して、悟(さと)りの世界、向こう岸を表す言葉です。けれども、私たちはこの日常を生きている限り、貪(むさぼ)り、怒(いか)り、愚(おろ)かさなどに惑(まど)わされ、なかなか、この向こう岸に近づくことができません。
お墓参り  お彼岸にお参りすることの基本にあるのは、それが彼岸に近づくための良い行(おこな)いであるということです。「しなければいけない」という「義務感(ぎむかん)」にとらわれたお参りと、「そうしたい」と自発的(じはつてき)にするお参りとでは、自(おの)ずとその結果は違ったものになるでしょう。
  お参りという清浄(しょうじよう)な行いを通し、今こうして自分が生きているのだという充実感(じゅうじつかん)を味わい、明日への活力が得られたなら、それこそ彼岸への第一歩です。お彼岸のお参りは、誰のためでもない、自分自身の修養(しゅうよう)のためでもあるのです。


 
●質問
節分に「恵方巻(えほうまき)」を食べると、どんなご利益(りやく)があるのですか。

●答え

  「恵方巻」って何?と思われる方も、まだまだ多いと思います。関西のごく一部の地域を除いては、ついここ数年前まで、そんな習慣はなかったのですから無理もありません。
  節分は、もともと「立春や立夏などの春夏秋冬の各季節の始まりの日の前日」のこと、つまり「季節を分ける日」のことをいいましたが、現代では、立春の前の日をさす場合がほとんどです。
  コンビニエンスストアなどで売られている「恵方巻」の解説には、その節分の夜、その年の十干(じっかん)によって定められている年神(としがみ)様の来臨(らいりん)する方角=恵方に向かって立ち、眼を閉じて、願い事を思い浮かべながら、太巻き寿司を一気に食べると、その願い事が叶(かな)うなどとあって、これはもちろん仏教の行事ではありません。
  お年寄りや小さな子供たちに起こる事故の一つに、コンニャクのゼリーや雑煮のお餅のように、誤飲(ごいん)や嚥下(えんげ)困難による窒息(ちっそく)があります。あわてて飲み込もうとしたために息が詰(つ)まり、最悪の事態(じたい)を招くことさえあります。福を求めてかぶりついたつもりが、そんな悲劇を生むことになっては洒落(しゃれ)にもなりません。
恵方巻  一説(いっせつ)には、「恵方巻」は業者が海苔(のり)の販売促進のために全国展開したともいわれています。季節感あふれる行事は大事にしなければなりませんが、その地域に根付いてこそのものといえるでしょう。利益(りえき)はあがっても、ご利益はどうでしょうか。


 
●質問
最近「直葬(ちょくそう)」という言葉を耳にしました。何のことですか。

●答え

イメージ1  葬儀のやり方は宗派によっても、また地域によってもいろいろと違いがあります。「直葬」というのは、ここ十年ほど、都市部を中心に急速に増えつつある葬儀の形式で、通夜や葬儀を執(と)り行わずに「直接火葬に付す」ことからこう呼ばれてます。火葬炉の前で、本当に短い時間お経を上げる場合もありますが、公営の火葬場等では、それすらも許されないところもあります。
  かつては主に経済的な理由から選択されていたやり方でしたが、「老老介護」などの言葉が示すとおり、高齢化が進み、亡くなられた当人はもとより、喪主(もしゅ)を努(つと)める方もすでに現役を離れている、仮に通夜・葬儀を営(いとな)んだとしても、弔問(ちょうもん)に訪れるのは本当の身内だけである等々、「直葬」が選ばれる理由も変化してきています。
  しかし、もしその根底に「ただ荼毘(だび)に付しさえすればいい」というような、あまりにドライな考え方があるとすれば、悲しすぎると言わざるを得ません。
  通夜・葬儀などの一連の葬送儀礼(そうそうぎれい)は、亡くなった方のためであることはもちろん、遺(のこ)された方たちの悲しみを癒(いや)す場としても重要です。
イメージ2  「直葬」にせずとも、ご家族だけで営む方法などもあります。また、お寺さんによっては、「直葬」で済ませた場合、その後の納骨(のうこつ)を認めないところもあると聞きます。十分にご相談になってお決めください。


 
●質問
お寺では蓮(はす)の花のデザインされたものをたくさん見かけます。なぜでしょう。
●答え
蓮の花  日本では「香典袋(こうでんぶくろ)」をはじめとして、仏事に関(かか)わるものに、その意匠(いしょう)が多用され、蓮の花は何だか「縁起(えんぎ)の悪い花」「悲しいときに用いられる花」のように捉(とら)えられがちですが、もともとはそうではありませんでした。
  蓮の花は古代のギリシャやエジプト、またインドでも「聖(せい)なる花」として珍重(ちんちょう)されてきましたし、中国では今でも「富貴花(ふうきか)」といって、牡丹(ぼたん)と共に「繁栄(はんえい)を象徴(しょうちょう)する花」として愛(め)でられています。
  蓮の実はとても小さく硬いのに、咲く花は大きく美しく、多くの実をつける。蓮根(れんこん)は汚(きたな)い泥(どろ)の中にありながら、そこからすーっと茎(くき)を伸ばして清らかに咲く姿は、気品に満ちている。昔の人びとは、そこに汚(よご)れた現実世界を脱した、仏さまの悟(さと)りの世界を感じたに違いありません。
  仏像が「蓮台(れんだい)」に乗っているのを見てもわかるように、蓮の花は「清浄(しょうじょう)」なるものの代表であり、寺院にそのデザインが多く使われているのもそのためです。
  夏の早朝、陽(ひ)が昇る時刻を知っているかのように、夜明けと共にゆっくりと花びらを開く蓮の花。その上品な香りに包まれると、自分の心が、自然に穏(おだ)やかになり落ち着いていくのを感じます。
  近年、全国各地に蓮池(はすいけ)を中心とした公園などが整備されるようになってきました。機会があれば、ぜひ訪れてみたいものです。

 
●質問
お仏壇を購入したら、中の仏さまはお寺で「開眼(かいげん)」して下さいと言われました。
「開眼」とは何のことですか。
●答え
  市民の文化育成の拠点(きょてん)にと、莫大(ばくだい)な税金を投入してできあがった立派な市民ホールが、その後少しも活用されない。「まったく仏造(つく)って魂(たましい)入れずだなあ」、そんな批判をバブル崩壊(ほうかい)の後、ずいぶんと耳にしたものです。
  この「魂入(たまい)れ」が「開眼」のことで、「入魂(にゅうこん)」 「開明(かいみょう)」 「開光明(かいこうみょう)」などともいいます。仏像を造ったり描いたりするときに、大部分を完成させた後で、仕上げに目を描くことを「点晴(てんせい)」といい、そこで初めて、ただの木や金属でできた物体が、あるいは描かれた絵像(えぞう)が、仏さまになって完成するという考えに基(もと)づいています。
  こんな喩(たと)えはどうでしょう。コンピューターを買ってきても、記録媒体(ばいたい)を初期化したり、ソフトウェアをインストールしなければ、機械はただの機械で何の役にもたちません。原稿用紙のマス目をきちんと引く作業をしなければ、原稿を書き始めることはできません。その基礎作業が「開眼」であり、それについては、修行を積んだ専門家、つまりお寺さんにお願いしましょうということです。
  ただ、せっかく「開眼」して頂いても、その後お参りしないのでは、市民ホールの二(に)の舞(まい)です。仏さまとどう向き合っていくのかは、あなた自身のこれからにかかっています。

 
●質問
実家と婚家(こんか)とで「ご霊膳(れいぜん)」の並べ方が違います。正しい並べ方を教えて下さい。
●答え
「御霊膳」の並べ方

仏さま側
AとCが入れ替わる
場合もあります。
  「ご霊膳」は「霊供膳(りょうぐぜん)」ともいい、通常は五つの器、@飯椀(めしわん)(ご飯)・A壷椀(つぼわん)(なます・和(あ)え物)・B汁椀(しるわん)(お吸い物・みそ汁)・C平椀(ひらわん)(煮物)・D高杯(たかつき)または高皿(たかざら)(漬け物)で構成されています。
  供(そな)える日は、ご飯は別炊(べつだ)きした上で、毎日必ず、決まった方のご命日に、お正月、お彼岸、お盆などの行事の時に、年回法要の時に等々、家々によって違います。
  並べ方も、ご先祖さまから受け継ぎ、長年培(つちか)ってきた習慣によって、地域や宗派ばかりでなくそれぞれの家で異なる場合があります。どれが正しいとは一概(いちがい)に言えないでしょう。
  ただ、お花などはお参りするわれわれの側に正面を向けますが、「御霊膳」は、仏さまの方へ正面を向ける点
では共通しています。これは、仏さま、ひいてはご先祖さま方に、召し上がっていただきたいという心の表れです。
  毎日のお仏壇へのお参りの際は、ご飯とお茶・お水だけで済まされている方も、ご命日や行事の時ばかりでなく、故人のお誕生日などにも、心を込めた手作りの「御霊膳」をお供えしてみてはいかがでしょうか。
  (宗派によっては「御霊膳」自体供えない宗派もあります。菩提寺(ぼだいじ)さまでお確かめください。)

 
●質問
祖母が、「お線香(せんこう)は仏様の食べ物だよ」といいます。どういうことですか。
●答え
  仏教以前のバラモン教などでは、儀式(ぎしき)の際に、動物をお供(そな)え物としていました。それに対して「不殺生(ふせっしょう)」を説いた初期の仏教が、花や水、灯火とともに、香木(こうぼく)を焚(た)いて供えたのが、今日(こんにち)われわれがお焼香(しょうこう)したりお線香をあげたりしてお参りするようになった起源(きげん)だといわれています。
  「アロマテラピー」などを持ち出すまでもなく、「香り」が、こころを鎮(しず)めたり、高揚(こうよう)させたりと、いろいろな働きがあることを、昔の人は経験的に知っていたのでしょう。
  「抹香(まっこう)」は沈香(じんこう)と栴檀(せんだん)との粉末、または樒(しきみ)の葉と皮とを乾(かわ)かしたものを粉にしたお香のことですが、「抹香臭い」という言葉が「仏教らしい感じがする」という意味に使われるように、お仏壇(ぶつだん)やお墓へのお参り、通夜や葬儀、お寺での法要(ほうよう)など、お線香やお焼香は、お参りに欠かすことのできないものになっています。
  「お線香が仏様の食べ物」というのは、「毎日お参りを、欠かしてはならない」ということを、比喩(ひゆ)的に表現したものです。
  毎朝夕、お仏壇にお線香をあげてお参りし、静かに手を合わせる。亡き方たちにお食事を差し上げるような心持ちで、あるいは一緒に食事を摂っているような気持ちで一時(ひととき)を過ごす。朝から晩まで時間に追われる生活を続けている現代人にとって、そんな穏(おだ)やかに流れる時を持つことが、実はとても重要なことなのかもしれませんね。

 
●質問
なぜ地域によってお盆の時期が違うのですか。いつが正しいのですか。
●答え
  @現行の「新暦(しんれき)」による七月十三日から、Aその一月(ひとつき)後「月遅(つきおく)れ」と称する八月十三日から、B「旧暦(きゅうれき)にしたがう八月二十四日前後など、おっしゃるようにお盆の時期は、地域によって違っています。
  その要因(よういん)はいろいろと考えられますが、東京などの首都圏が@であるのは、明治六年に新政府が、それまでの「天保暦(てんぽうれき)(太陰太陽暦(たいいんたいようれき))」から「グレゴリオ暦」に切り替え、それをお膝元で徹底(てってい)させようとしたことが一因だと思われます。その際、実際に行われていた「旧暦」のお盆と、あまりに日にちがかけ離れてしまうため、大方(おおかた)の地域でAの「月遅(つきおく)れ」を採用したのでしょう。
  毎年八月半ばの「民族大移動」が示すように、Aの地域が最も多いことはいうまでもありませんが、しかし、@も首都圏に限られているわけではありません。京都・大阪・滋賀などで盛んな「地蔵盆(じぞうぼん)は、二十四日のお地蔵さまの縁日がBと結びついたものですし、他にも農漁業、養蚕(ようさん)業などの繁忙(はんぼう)期を避けて行われる地域など、お盆の時期は実に様々です。中には広島市のように、八月六日の「原爆記念日」をお盆の準備を始める日としているなど、まさに過去の悲惨(ひさん)な歴史が時期を決める大きな要因となった例もあります。
  いつが正しいということはありません。それぞれの地域の歴史や風土が育(はぐく)んできたお盆。大切にしたいものです。

 
●質問
定年後、僧侶(そうりょ)になりたいと考えています。どんな方法がありますか。
●答え
  最近「プチ修行(しゅぎょう))」ブームだといわれています。新人研修に、お寺での数日間の「作務(さむ)を取り入れている企業もありますし、旅行会社の企画による「一日尼僧(にそう)体験コース」も、若い人を中心に参加者が引きも切らないということです。
  その一方、若者が会社の方針や興味本位で「プチ修行」に臨(のぞ)むのとは違って、人生に一定の区切りのついた世代の方たちが、自分の歩んできた道を振り返りたい、人生の意味を問い直したい、この世に生を受けた証(あかし)が欲しいといった、高い目的意識を持って、真剣(しんけん)に道場の門を叩(たた)くことも少なくないようです。
  僧侶になる方法は宗派によって千差万別、期間も、かかる費用も、そして修行のやり方も違っています。しかしきちんとした手順をふめば、たとえ定年後でも、僧侶になる道が閉ぎされているわけではありません。
  自分を見つめ直したい、心の平安を得たい、社会のために役立ちたい等々、目的は何であれ、僧侶を目指す時、どの宗派にも共通しているのは、まず「身元引受人(みもとひきうけにん)」ともいえる「師(し)僧」を見つけることでしょう。
  なにがしかの会費を払い、一泊二日の研修を受けるだけで「僧侶」の資格が得られる、などと広告しているいかがわしい組織もありますが、「定年後に安定した収入が得られます!」などの甘い宣伝文旬には、ゆめゆめだまされないように注意していただきたいと思います。

 
●質問
「お経」とはなんですか?「お経」には何が書かれているのですか?
●答え
  きん斗雲(きんとうん)に乗り、如意棒(にょいぼう)を振り回す孫悟空(そんごくう)が活躍する『西遊記(さいゆうき)』。その本来の主人公は、『経典(きょうてん)』を求めて中国からインドへの苦難(くなん)の旅を続けた三蔵法師(さんぞうほうし)であり、モデルが『大唐西域記(だいとうさいいきき)』を著(あらわ)した、七世紀初頭、唐(とう)の時代に実存(じつぞん)した玄奘(げんじょう)三蔵であることはいうまでもありません。
  この「三蔵」という言葉は、@お釈迦(しゃか)さまの説かれた真理(しんり)の教えである「経」、A教団(きょうだん)を運営していく上で必要な規則(きそく)「律(りつ)」、Bお釈迦さまの教えについて、弟子たちが研究した「論(ろん)」の三つをいい、三蔵法師とは、まさにこの三つに習熟した人という意味です。
  「お経」というのは、狭義(きょうぎ)には@の「経」だけをいいますが、広義(こうぎ)に「経典」というときには、この「三蔵」すべてを指します。
  では、そこには、何が書かれているのでしょうか。大胆(だいたん)に一言で言えば「苦を離(はな)れるための処方箋(しょほうせん)」とでもいえるでしょうか。お釈迦さまの教えは「応病与薬(おうびょうよやく)」といって、その人の持っている苦悩(くのう)に合わせて、自在に説かれたといわれています。ですから「お経」はその処方箋の集大成(しゅうたいせい)ということができるのです。
  宗派によって読む「お経」が違うは、各祖師(そし)方が、今の時代の人々の苦悩を救うのに、どの処方が最も適しているかを、それぞれに判断されたからです。
  わが家の宗旨(しゅうし)の「お経」。一度ご自身でも読んでみましょう。

●質問
お釈迦(しゃか)さまはおひとりなのに、なぜ如来(にょらい)さまや菩薩(ぼさつ)さまなどはたくさんいらっしやるのですか。
●答え
   一言でいえば、菩薩さまというのは、自分一人の悟(さと)りを求めるだけではなく、他の人をも救うための修行(しゅぎょう)を実践(じっせん)している人、そして、如来さまはその修行を完成させた人といえるでしょう。いろいろな如来さま、菩薩さまは、それぞれ自分なりの方法で、「世のため人のため」を考えて行動されているのです。
 こんな喩(たと)えはいかがでしょうか。何か一つの食材があったとき、和食の料理人や、中華や洋食のコックさんたちが、各々まったく違ったレシピでありながら、その食材の持つ特性を生かして、素晴らしい料理を作り上げる。そして他の人には真似のできない、すぐれた調理法を確立した上で独立して店を出した。だから食材の数だけ、調理法の数だけ菩薩さまも如来さまもいらっしゃるのだと。
 お彼岸は、ご先祖さまの恩を思うだけでなく、私たち皆が菩薩となるべき志(こころざし)を起こす、修行のための一週間だといわれます。
 食べた人に幸福感を与え、その笑顔を見ることが、料理を作る人にとっての最高の幸せであるとするならば、私たちにはいったいどんな料理を作ることが可能なのでしょうか。そう考えた瞬間から、いずれは如来さまになりうる菩薩さまが一人増えたといえるのです。

●質問
火葬(かそう)場での「骨揚(こつあ)げ」は、どうして二人一組で拾うのですか
●答え
   「骨拾(ひろ)い」「灰(はい)よせ」などとも呼ばれる「骨揚げ」を二人一組で行うのは、「あの世への橋(箸(はし))渡し」という語呂(ごろ)合わせ、あるいは、これは仏教の考え方ではないのですが、死を「忌(い)み嫌(きら)うべきもの」として、一人で行うのを避ける意味があると説明される場合が多いようです。 
 茶毘(だび)に付したばかりのご遺骨、いわゆる「焼骨(しょうこつ)」はかなりの高温で、素手(すで)で触れることはできません。そこで長い箸を使うのですが、もろくなった「焼骨」を、一人で持ち上げたのでは崩(くず)れやすいというのが、実際の理由かもしれません。
 また、食べ物を箸から箸へと渡す「渡し箸」は、この「骨揚げ」が連想されるのでタブーとされますが、先に「渡し箸」の禁忌(きんき)があり、あえて「骨揚げ」に通常でないやり方を取り入れたとも考えられます。
 現在のように一般庶民の遺体(いたい)が茶毘に付されるようになったのは、せいぜいここ一世紀ほどのことです。「骨揚げ」のやり方も地方によって大きな違いがあります。あまり、二人一組ということにこだわる必要はないように思います。
 運動会の二人三脚、どちらか一人が焦(あせ)ってスピードを上げようとしても、二人の息がピッタリと合わなければ、絶対に上手(うま)く走れませんね。これと同じで、亡き人を偲(しの)んで、遺(のこ)された人たちが心を一つにするためだと考えるのがよいのではないでしょうか。

●質問
母が無くなってから毎週お墓参りを続けていますが、未練(みれん)が残ってかえって母のためにならない、と言う人があります。ほんとうですか。
●答え
  川柳(せんりゅう)や都々逸(どどいつ)の元にもなったといわれるものに、江戸の元禄(げんろく)年間に流行した点付俳諧(てんつけはいかい)(句を募集(ぼしゅう)し、優(ずぐ)れた句には点と賞金を与える)があります。なかでも有名なのは、小津安二郎(おづやすじろう)監督の名作『東京物語』で、大坂志郎(おおさかしろう)さん扮(ふん)する息子が、亡き母の法要(ほうよう)の際につぶやく「孝行(こうこう)したいときに親はなし、されど墓に布団は着せられず」という連句(れんく)でしょう。詩句に多少の違いはありますが、かつては講談(こうだん)や落語の中にもしばしば登場しました。
最近は少年犯罪の凶悪化(きょうあくか)と低年齢化、親による子供の虐待(ぎゃくたい)などがしきりに報道され、「親孝行」という言葉自体が「死語」になりつつありますが、どんなに生前に孝養(こうよう)を積んだ方でも、逆にそういう人ならなおさら、実際に親を亡くしてみると、この句のような思いをするものです。
  また「木静かならんと欲(ほっ)すれども風やまず、子養(やしな)わんと欲すれども親待たず」ともいい、健在(けんざい)のうちに、子を想(おも)う親の気持ちに感謝し、十分といえるほどの「親孝行」をすることは難(むずか)しいとされてきました。
  「未練が残ってかえってためにならない」とは妙なことで、扶育(ふいく)の恩(おん)に報(むく)いようという毎週のお墓参り、きっとお母さまはお喜びでしょう。どうぞご心配なくお続け下さい。

●質問
両親から、子供が生まれたら名前は菩提寺(ぼだいじ)のご住職につけていただくよういわれました。自分たちでつけてはいけませんか。
●答え
  落語の『寿限無(じゅげむ)』。ご存知のように、この子にはこう育ってほしい、こんなことで困らないように、という親の期待や希望がすべて詰(つ)め込まれた、とてつもなく長い名前をつけられた少年の「悲劇(ひげき)」、ひいては親の欲目(よくめ)を笑い飛ばした傑作(けっさく)です。
  自分たちの愛の結晶(けっしょう)である子供に名前をつけるというのは、新たな家庭を築いた若い夫婦にとっては、何物にも代(か)え難(がた)い喜びであることは間違いありません。それを他人に任(まか)せることに納得(なっとく)がいかない、というのも無理からぬことです。
  しかし、ご両親がそうおっしゃられるのは、あなたのお宅とお寺さんとの間に、良好な信頼関係が成り立っているという証(あかし)でもあります。
  むげに拒絶(きょぜつ)するのではなく、まず自分たちで考えた名前をいくつか示し、希望を伝えた上でさらにご住職のからも候補(こうほ)を挙(あ)げていただき、その中から選ばれるのがよいでしょう。
  「長久命(ちょうきゅうめい)の長助(ちょうすけ)」は子供の幸福を願う親の率直(そっちょく)な気持ですが、何から何まで親の欲求(よっきゅう)を満たそうとすれば『寿限無』になりかねません。
  名前はその子の一生を左右する重要な要素(ようそ)の一つです。最終的に決定するのはあなたたちだとしても、独善的(どくぜんてき)にならず、一度は識者(しきしゃ)の智恵に耳を傾けてはみてはいかがですか。


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