【寺院名】五太山 明眼院(みょうげんいん)

【宗派名】天台宗 尾張中本山
【別名】薬師寺
【住所】愛知県海部郡大治町馬島北割114番地
【本尊】薬師如来
【開山】行基
【開基】聖圓上人
【由緒】明眼院は、五太山安養寺と号し、天台宗に属する。延暦21年(802)に、伝教大師の徒弟・聖円上人が開創して、白山社ならびに馬島天神とともに、丈5尺の金色の薬師如来坐像を奉祀し、西善坊等18坊の塔頭を有する仏法興学の大道場となり、東海において最大の法城となる。建武年間(1334-36)に兵火に遭って境内の大半を焼失したが、清眼僧都に眼病療治の秘法と霊水授与の夢告があり、以来代々眼療を続け、その名声が広がり、延文2年(1357)に本堂および白山社を再建、薬師寺蔵南坊と称された。寛永9年(1632)には、明眼院の勅号を賜り、寛保年間(1741-44)に寺は東海北陸において最も高い格式を保ち、また、我が国で最古最大の眼病治療所となった。明治に至り、神仏文離・医師法の施行により荒廃化するが、祐章現住職が数々の困難を克服して、職権回復、寺院財産確保など中興の大業をなし、現在に至る。
【寺宝】画聖応挙は眼疾のため参籠した記念に書院の襖障子に画き、茶聖小堀遠州もまた眼疾のため来た折り、逗留して庭園の修築を施し、数多くの茶具を遺した。また本居春庭等文人雅客の往来が繁しく、現在明眼院に残っている数多くの宝物はその賜物である。