【寺院名】峰條山 楠妣庵観音寺(なんぴあんかんのんじ)

【宗派名】臨済宗妙心寺派 一等地
【別名】
【住所】大阪府富田林市大字甘南備
【本尊】千手観音(後醍醐天皇念持佛)
【開山】圓鑑国師微妙大師
【開基】楠正儀公
【由緒】峰條山観音寺は、もと楠正行在世中、後醍醐天皇(在位1318-39)の崩御(1339)に際し、太上皇神を君主上として仰がんため、峰條山の一角に一殿を建て、同天皇の念持仏であった千手観音を奉安し、峰條山観音殿と称していた。延元元年(1336)楠正成は湊川に、正平3年(1348)正行は四条畷に戦死した後、楠公夫人久子は、敗鏡尼と称し、生まれ故郷の甘南備に一草庵を結び、正成をはじめ一族郎党の菩提を弔い、寂寥の余生を16年ここで過ごした。その庵は楠妣庵と称され、敗鏡尼入寂後、楠正儀は、観音殿を観音寺と改めて、楠氏一族の香華寺とし、不二房(藤原藤房卿)行者を住せしめたのである。その後、同寺は、兵火などの災厄に遭い、楠妣庵とともに久しく廃滅していたが、大正6年(1917)楠妣庵の再興に続いて大正11年(1922)壮麗な観音寺本堂が再建され、昭和3年(1928)には書院を昭和7年(1932)には、恩光閣を落成し面目を一新した。平成2年(1990)楠妣会館が、平成3年には南門が新築落成し、会館を通して各界より修養道場として高く評価されている。
【寺宝】楠公一代絵巻物(藤原光成筆)/楠公肖像画(狩野山楽筆)/楠公夫人信仰の多聞天像(鎌倉時代作)/山門(栗材・四脚門)/楠公夫人墓所及び楠氏一族供養塔/楠母子像(岩崎光仁作)/その他、多数の書軸を有し、境内の楠妣泉からは今も昔に変わらず清泉が湧き出ている。 ※河内西国20番札所